「マグロの底ぢから」 上田 勝彦 さん(鳥取県在住 公務員)

 かつて「1頭獲れば七浦潤う」と謳われたのは,海の巨大生物クジラであるが,偉大な

る巨大魚マグロもまた,遡れば縄文時代,その後江戸期からは日本橋の魚河岸にもその巨

体を横たえ,一頭で多くの庶民の口を養ってきた。その体躯および各器官の大きさからみ

れば,サカナというより獣に近く,時には神聖な感じさえする不思議でありがたいサカナ

である。最近,あらためてそれを実感することがあった。

 マグロを丸ごと食い尽くしてみようと,境漁港の一角に総勢80名が集ったのが去る7

月のこと。約60kgのクロマグロ2頭を,説明しながら解体し,様々な料理に仕立てた。

赤身・トロ身の刺身はもとより,醤油につけた飴色のヅケ,塩マグロを用いたキムチ漬け

と酢締め,ハワイおよびタヒチの民族料理であるポキとポワソンクルー。目玉の脂と筋を

用いたはえなわ漁師流の味噌たたき,ホオ肉と心臓の中華炒め,頭肉とすき身のネギトロ,

香草と共に焼いたエラ身,血合いのレアステーキ,胃袋の千切りとキュウリの中華冷菜,

茹でた卵巣をニンニク・唐辛子と共に漬け込んだ醤油漬け,などなどが,アッという間に

なくなった。と,思いきや,まだまだおかわりが出る。マグロだけで80人が満腹して,

残ったのは,本当に骨だけだ。この豊かさ,豪快さはどうだ。他の魚ではありえまい。

 マグロは,単なるタンパク資源といった水産業上の位置づけでは到底語り尽くせない。

嗜好品ないしそれを用いた饗宴といった次元を越えて,人と人をつなげるナゾの力をもっ

ている。血がたぎる想いで大きないのちを皆で食らい共有することによって,そこに集う

人々はニンゲンというまたひとつの大きないのちを確認する。終わってみれば,宴と言う

より,むしろ神事にさえ近い原始の「祭り」であった。これがマグロの底ぢからナリ。こ

の剛力にあやかりたくて,今日もヒトはマグロに向かうのかもしれない。