「マグロがおかずになったので」 谷川 尚哉 さん(東京都在住 大学教員)

 1970年代の後半、大学1年生だった私は、勉学よりも謡曲のサークル活動に熱心だ

った。舞台が終わるたびにコンパをやっていた。3年生が幹事だったが、歌舞伎町の学生相

手の安い飲み屋で開いた宴席で、やってきた4年生が、机の上の料理をみるなり、「おお

っ、今日はマグロの刺身じゃないか! すげぇな」と叫んだのを、今でも覚えている。

 当時、マグロの刺身は御馳走だったのだ。それも、赤身のマグロである。中トロ・大ト

ロなど、口に運んだことなど無かったように思う。

 それが今では、回転寿司で、トロの寿司が数百円で廻っている。スーパーに行けば、中

トロのサクを千円そこそこで買うことができる。

 まさしく、「御馳走だったマグロが、おかずになった」のである。消費者の立場に立て

ば、安いマグロが好きなだけ食べられるようになったのであるから、天国である。

 しかしながら、その安さの秘密は何なのだろうか。世界中の海から「空飛ぶマグロ」と

して「成田漁港」に集まってくるマグロのお蔭なのか。しかも、蓄養によるトロマグロの

増加によるのか。

 そして、その裏には、かつての水産王国ニッポンを支えてきた、遠洋マグロ延縄漁業の

衰退があるとしたら、そう喜んでもいられない。マグロがおかずになったお蔭で、どれだ

けの乗組員が泣いているのであろうか。99年の減船を、なんとか乗り切ったと思ったら、

引き続いての魚価の低迷、水揚げ量の低下、安価な輸入マグロの増大、燃油の高騰・・・、

そしてリストラ。

 私たちが、私の子どもたちが、回転寿司で安くて美味しいマグロをほおばって、笑みの

こぼれる時に、日本の北の南の漁港では、もう出航できないマグロ船を眺めながら、船を

下りざるを得なかった乗組員が、悲しい酒を飲んでいるのかもしれない。

 御馳走は御馳走のままに、おかずはおかずのままに、あるべき姿があるのかもしれない。