「鮪の刺身」 若色 かおる さん (栃木県在住 パート)

 私の父の父、つまり祖父は酒屋を営んでいた。

 祖父は新潟の人で、冬の間だけ酒造り職人として出稼ぎに他県へ行くのだった。たまた

まやって来た酒屋で、一人娘の婿にと見込まれて、腰を落ち着けたという。

 義理の父親が亡くなり、店主となってからは祖父の夕食の膳にはいつも、鮪の刺身が一

皿多く付いていたと、そして自分も数切れもらうのが常だったと、父は目を細め、楽し

そうに時おり話した。

 私の父にとって、他の家族や使用人たちと違く、膳に一品多く、鮪の刺身が付いている

自分の父親(私には祖父だけれど)は、一段と輝く父親像だったのだろう。

 酒屋はその後傾いて、全財産を無くす。祖父も亡くなる。父は母親(私の祖母)との二

人暮しを十八才で支え始める。

 もう私が物心つく頃には食事時の各々の膳はなく、丸い卓袱台になる。父の夕飯にも鮪

の刺身が一品多く、時たま付くことがあった。父は祖父がしていたであろうように、私た

ち兄妹にも二切れずつ分けてくれ、「うまいだろう」と、念を押すのだった。

 ある日、母はいつもの赤い刺身ではなく、ピンク色で白い線の入っている刺身を持って

帰った。魚屋が同じ代金でいいから、うまいこれを持って来なと渡したのだそうだ。

 それを見た父は怒った。こんな桃色の、筋がたくさん入った刺身なんか食べられるか。

いつもの赤い刺身に取り代えて来いと。

 私は両親のやりとりを見て、聞いているだけの、小さな子どもだった。今なら、それが

トロでおいしいと知っているけれど。

 もうその父もいない。魚長といったあの魚屋もなくなって、今は若者向けのモダンな衣

裳屋になっている。

 今、私の好きな刺身は鰯、秋刀魚、鰺、鰹。

 でも、鮪の赤身の刺身は私の心の中で特別な位置を占め続けている。