『山は富士、魚はマグロ、家庭の魚食力をつけよう』


〜〜回答編〜〜

質 問

千葉県我孫子市の荒川と申します。ただいま60歳で定年リタイアしたばかりです。あなたのバイタリティ溢れる”日本の漁業をどぎゃんかせんば”の奮闘ぶりをテレビで拝見して応援しているものです。私も九州の有明海の漁師の長男として生まれましたが、体格で弟に負け弟が漁師をしている次第です。私も定年後は日本の漁業のためになんとかしたいと思うのですが、如何せん一人では天を手で掴むのみで何をどうしたらよいか分かりません。
今回の大地震で東北三陸海岸の漁業は壊滅してしまいました。この漁師の方々の復興のために微力ながら力を発揮できればとメールさせていただきました。
先ずは、被害者の救出が第一ですので私の出る幕はないのですが、出番を待っています。是非、上田さんに賛同してボランティアで頑張りたいと思いますので、漁業復興支援の集まりをまとめ中心になっていただけないでしょうか。戦後の荒廃の中、親達は私達団塊世代を育てながら見事に日本を復興してくれました。その恩返しではないのですが、1000年に一度の未曾有の震災後の復興に自分を捧げられればと思っています。ご返事をお待ちしています。

回 答

荒川様、そして、このコーナーをご覧くださっている皆様へ

支援メール、心より感謝いたします。
このたびの地震・津波による、北海道南岸から岩手、宮城、福島、茨城、千葉東岸の極めて広域に至る災害は、直接であれ間接であれ、その影響がほぼ日本全土に及ぶ、我が国にとって稀代の災難となりました。

かつて私が関わったふたつの災害、ひとつは阪神・淡路大震災、もうひとつはその後に起こった日本海のナホトカ号の油流出でありますが、このふたつの経験によって我が国の災害時ボランティア活動のスタイルが確立されたと言っていいくらい、民間の力が支えとなった場面でした。ただ今回と違うことは、振り返ってみますと、いずれも爪痕の大きさや被災者の苦痛という意味では変わらないにせよ、外から来た者が手を差し伸べられる余地が、初期の時点からあったように思います。瓦礫の下から一人でも多く人を助ける、重油を一杯でも多く掬う、というように、青年も壮年も、支援参加できた災害でありました。

しかし、今回の災害は、ごらんのとおり、素人の立ち入るレベルを遥かに超えてしまっているのです。物理的に広域かつ甚大。活動が盛んとはいえ、ただでさえボランティアの参加には様々な問題が伴います。 たとえば、同情や使命感や自己達成欲といった感情によって現地に赴くボランティア精神は、時としてその人自身の身体的精神的能力を超えてしまい、結果としてボランティアが現場で怪我をしたり亡くなったりすることもあります。そして、ボランティア当人も食べねばならず住まねばならず排泄しなければならないので、それらの物資調達と設備負担が二重にかかってしまうということもあります。あるいは、意気に感じて来たものの、何をしたらいいかわからず、かえって足手まといになってしまうといったようなことも多々あるのです。

これら諸々のことを、ボランティアで現地を目指す人は、よく自分の心身能力と相談し、考え、判断・行動しなければならないと思います。そのためには、災害地などに入って働いた経験のある指揮者が必要であると実感しますし、ボランティアに赴く際の相談窓口も必要だと思います。今回、政府ではそのような窓口を設ける動きがあり、そのリーダーは辻本清美さんです。詳細は追ってお知らせできるはずです。

さて、現時点で皆さんにできることは、“考えながら待つ”ことです。今回も、多くの人手が必要になる時が、必ず来ます。自分なら何をもって貢献できる可能性があるだろうか、イメージし、考えながら、待ってほしい。
と同時に、遠くにあっても協力できる、『節電、義援金、物資拠出』など、しかるべき窓口を通じて、出来うる限りの手を尽くして、自分が動くべき時を待つのです。ただし詐欺には引っかかりませぬよう、念のため。
そしてもうひとつ、今回起こった事実を風化させないよう、起こり来ることに注視し、記憶にとどめ、語り継いでいくことも、現地に赴くと同等に大切な役割だと思います。

今はとても現地に入れません。広い範囲で内陸部まで被害は及んでいるとはいうものの、甚大なのは沿岸部。交通路も通じたり通じなかったりの状況です。たとえば映像にはいっさい映っていませんが、膨大な数の遺体を出かけていったボランティアが目の当たりにしたとき、どうするのでしょうか。立ちつくし、無力な自分を知るのみとなりましょう。命、衣、食、住が、かたちなりとも確保されはじめた頃、街の、産業の、白紙からの立ち上げが待っています。猫の手でも借りたい。そのときこそ、炊き出しや心身ケアや、瓦礫の撤去など、様々な小さな力の集積が必要となるときだと思います。

そこでお願いがあります。
皆さんが持っておられる境遇、あるいは技術、体力・知力、なんでもいいのですが、今回の経過を更に見守っていただいて、今のうちから、自分が貢献できるとしたら、何があるか、変化していく状況に合わせて考えていただけたらと思います。実行できることは実行できるでしょうし、できないことはできないのです。切によろしくお願いします。

更に、私はこう、強く思います。
政治も、行政も、民の暮らしも、人間という動物は、ここまでひどいことにならないと、どう生きていけばいいのか、何が大切であるかをわかることができないのであろうか、という、自分を含めた人類に対する問いかけです。これをひとことで言えば、「ちょうど良さがわからない」ということです。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、あまりにも多くの犠牲を出した今回のことを、これからの全てに活かすことができなければ、もはや我々はこの地球上に生きている価値はないと思います。政治も、行政も、食料産業界のあり方も、地域の危機管理も、家庭におけるものの食べ方・使い方も、三思すれば、今回のことが全て教えてくれています。新しい生き方の形が、ここから生まれることを目指して行動していきましょう。
ここまでいろんなものを野放しにしてしまい、物質的に豊かな生活を享受した責任が、我々にはあるわけで、今、何を背負おうとも、組織だろうと個人だとうと、開き直って今できることをやり抜くしか、道は残されていないと思っています。有志のつながりが、良い国土と人の絆を再生できると信じています。